トルコ

 

基本情報

トルコ
正式国名
トルコ共和国  Turkiye Cumhuriyeti
面積
814,758k㎡(日本の2倍強)
首都
アンカラ  Ankara
民族構成
トルコ人、クルド人など。
言語
トルコ語が公用語。南東部ではクルド語も広く日常的に話される。シリア国境付近ではアラビア語も話される。
通貨
通貨単位はトルコリラ(YTL)、クルシュ(YKr)。
1トルコリラ(YTL)≒54.40円(2011年1月5日現在)。 紙幣は100YTL、50YTL、20YTL、10YTL、5YTN、1YTL。コインは1YTL、50YKr、25YKr、10YKr、5YKr、1YKr。
時差
日本より7時間遅れ。 サマータイム時は6時間遅れになる。
宗教
イスラム教(99%)。
祝祭日
1月 1日 新年
4月23日 独立記念日、子供の日
5月19日 アタテュルク記念日、青少年とスポーツの日
8月29日~9月1日 シュケルバイラム(砂糖祭り)※
8月30日 勝利の日
10月29日 共和国の日
※上記は2011年のもの。宗教祝日は毎年日にちが異なります。

おすすめ観光情報

イスタンブール/Istanbul

イスタンブールはアジアとヨーロッパ2つの大陸にまたがる都市で、その中心を貫くボスフォラス海峡を境にヨーロッパ側とアジア側に分かれています。
イスタンブールはローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都であり、最盛期には世界最大級の都市になりました。その後、1923年10月13日にムスタファ・ケマルを中心とする大国民議会によりアンカラを首都とする憲法改正案を採択され、イスタンブールを首都とする歴史は終わりますが、今も尚、1500年に渡り首都として栄えたことを証明する宮殿や遺跡などの歴史的建造物が数多く残されています。

スルタンアフメット・ジャーミィ(=ブルーモスク)

◆スルタンアフメット・ジャーミィ(=ブルーモスク)
このあたりの地域名にもなっているとおり、旧市街の観光の中心となっています。丸天井のドームと優雅な6つのミナレット(尖塔)を持つ、その壮大な姿はイスタンブールの象徴にもなっています。6本ものミナレットを持つイスラム寺院は世界でも類を見ません。
中に入ると、高い丸天井が独特の雰囲気を作り出し、ステンドグラスに差し込む光が館内を淡く照らします。
内壁を飾る2万枚以上のイズニック・タイルは青を基調にした非常に美しいもので、そのため、このモスクはブルーモスクという愛称で呼ばれるようになりました。

アヤソフィア博物館

◆アヤソフィア博物館
トプカプ宮殿とスルタンアフメット・ジャーミィの間に建つアヤソフィアは、ビザンツ建築の最高傑作とも評され、トルコの長い歴史を体言してきた建築物です。西暦325年に建築が始まり、西暦360年に一旦は完成を迎えます。その後、2度の焼失を経て、西暦543年、約6年の歳月をかけてビザンツ様式のキリスト教の大聖堂が完成します。この後ビザンツ帝国の時代が終わりを告げるまで、ギリシア正教の大本山としてあがめられていました。 庭園にある、アテネなどから運ばれたギリシア様式の円柱や、ロードス島で造られたレンガ、内部には多数のモザイク画が残り、ビザンツ文化を象徴しています。 1453年にコンスタンティノープルが陥落すると、メフメット2世により聖堂はイスラム教のモスクに変えられます。モザイク画は漆喰で塗りつぶされますが、1932年に修復され、1934年に博物館となり、一般に公開されるようになりました。

◆トプカプ宮殿
ボスフォラス海峡、金角湾、マルマラ海に囲まれたイスタンブールの町全体を見渡すことのできる小高い丘に15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心であったトプカプ宮殿が建設されました。強大な権力と豊かな富みを誇り、世界中の国々にその名を知らしめたオスマン帝国の歴代の君主スルタンたちとその家族が生活していました。その宮殿の外観は一見地味に見えますが、贅を尽くした装飾の数々に思わずため息がもれるほど。
3方を海に囲まれた丘の端に、東西交易の接点であったボスフォラス海峡をにらむように宮殿は建っていて、かつてここに大砲が設置されていたことから、トプ(大砲)カプ(門)宮殿と呼ばれるようになったと言われています。
このトプカプ宮殿にはスルタンの妻たちとその子供たちが暮らした部屋=ハレムがあり、トプカプ宮殿の最大の見どころのひとつになっています。

◆グランドバザール(=カパル・チャルシュ)
狭い路地が複雑に入り組んだこの迷路のようなバザールは4000軒以上の店が連なり、それぞれの通り名は金細工師通り、カーペット商人通り、スカルキャップ(ビロードでできた室内帽)職人通りなど、商いが決められてかつての日々を彷彿とさせます。この屋内市場は中東最大とも言われるほど大規模なもの。小さなお店が無数に集まる中近東ならではの市場風景です。今は観光地化していますが、独特の熱気は健在です。

◆ボスフォラス海峡クルーズ
マルマラ海と黒海を結ぶ全長約35kmのボスフォラス海峡は古くから交通の要としてその役割を果たしてきました。海峡沿いには城塞やモスク、宮殿などが建ち並び、ボスフォラス海峡に架かる2つの橋をくぐります。それらを船上から眺めれば、一味違ったイスタンブールの景観を楽しむことができるでしょう。

カッパドキア/Kapadokya
カッパドキア/Kapadokya
カッパドキア/Kapadokya
カッパドキア/Kapadokya

カッパドキアはアナトリア高原の中央部に広がる大奇岩地帯を示す地名です。キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観や、奇岩の中のキリスト教の壁画、何十mもの地下に造られた地下都市と、さまざまな顔を持っています。
カッパドキアの歴史は古く、紀元前8000年頃には人が住み始め、紀元前15~12世紀頃にはオリエントで強大な勢力を誇ったヒッタイト王朝の中心地として栄えます。紀元前4世紀にはビザンチン帝国領土となり、この地に移住してきたキリスト教徒によって洞窟住居が形成されました。11世紀に入るとカッパドキアはイスラムの支配下に置かれます。キリスト教徒はその後もこの地に暮らし続けますが、1923年、トルコ共和国が成立するとギリシアとの間で住民交換が行われ、キリスト教徒は姿を消しました。

◆キノコ岩形成の謎
カッパドキアの地層は数億年前に起きたエルジェス火山の噴火によって火山灰と溶岩が積み重なり、凝灰岩や溶岩層となりました。長い年月をかけて雨と風で侵食され、固い部分だけが残り、現在見られるような不思議な形の岩になりました。

◆ギョレメ野外博物館
カッパドキアでは4世紀頃から多くのキリスト教徒が住むようになりましたが、9世紀頃から強まったイスラムの圧迫から逃れる為、岩を掘って洞窟に教会や住居を造ったといわれています。かつてはギョレメ一帯に400~500もの教会があったといわれていますが、現在は約30の教会が野外は博物館として公開されており、保存状態のいいいくつかの教会でフレスコ画や信仰の名残などを見学することができます。

◆ウチヒサール
「3つの要塞」という意味をもつウチヒサールは、カッパドキア一帯で最も高い位置にある小さな村です。村の中心には敵の侵入を防ぐための巨大な一枚岩の城塞がそびえ、頂上から眺めるギョレメ・パノラマはまさに絶景。岩の上部に開いた穴は鳩の家で、住民は鳩の糞を集めてブドウ畑の肥料として役立てていました。鳩は赤い色を好むため、穴の入り口に赤い色でペイントされています。現在は岩窟住居に人は暮らしていませんが、小さな庭や、穴にはめられたガラス窓など、当時の生活ぶりをうかがえます。

◆パシャバー
カッパドキアの象徴ともいえるキノコ岩が谷一面に立ち並ぶ奇岩観光のハイライトです。キノコ岩は中に妖精が住んでいるとの言い伝えから「妖精の煙突」とも呼ばれています。人里を離れ、キノコ岩の洞窟で信仰生活を送った古代の修道士が残したフレスコ画を見学することも可能です。

◆カイマルク地下都市
キリスト教徒がアラブ人の迫害から逃れる為に造ったといわれる地下都市はカッパドキアに300以上あり、中でもここは多いときには5000人以上が生活したという巨大なもの。内部は地下8階まであり、礼拝堂や学校の教室、寝室、厨房、食料庫、ワイナリーなど、長期間にわたって生活するための施設がすべて整い、都市としての機能を果たしていたことがうかがえます。ところどころに敵の侵入に備えた丸い石が、道をふさぐように置いてあります。

◆洞窟ホテル
カッパドキアではかつての岩窟住居を利用した風情ある洞窟ホテルに宿泊がおすすめです。洞窟の岩肌をそのまま利用した素朴で幻想的な雰囲気を楽しめます。

パムッカレ/Pamukkale
パムッカレ/Pamukkale

トルコ語で「綿の城」を意味するパムッカレの石灰棚は、この地域の温泉水に含まれる炭酸カルシウムが酸素と結合して長い年月をかけて結晶化し、作り出したもの。自然が作り出したまさに綿の城のような石灰棚が太陽の光を浴びて真っ白に輝き、ブルーの湯を湛えている様子は実に幻想的です。
※現在は景観保護の為、石灰棚への侵入は禁止されています。

トロイ遺跡/Archaeological Site of Troy
トロイ遺跡/Archaeological Site of Troy

永らくホメロスの詩「イリアス」に出てくる伝説の都市と信じられてきたトロイ。しかしトロイは実在すると信じ続けてきたドイツの考古学者シュリーマンが私財をなげうって発掘を続け、1870年についに遺跡が発見されました。
この地に集落ができ始めたのは紀元前3000年頃のこと。紀元前2500~2000年頃にはエーゲ海沿岸の交易の中心地として繁栄のときを迎えます。その後は繁栄と没落を繰り返し、残された遺跡は9つの時代が重なり合い、複雑な形成になっています。紀元前1800~1300年頃に一時繁栄を取り戻しましたが、やがて起こる10年にも及ぶトロイ戦争により町は滅亡への道をたどることになります。

◆トロイの木馬
トロイ軍は、紀元前1200年に起きたトロイ戦争の最中、退却していくギリシア軍が残した木馬に、まさか兵が潜んでいるとも知らず、夜襲を受け陥落します。1975年に復元された木馬は当時の大きさを再現しているといわれています。

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